東雲度度騒乱(シノノメドドソウラン)#1

 八方向に目が見える。この辺では当たり前なのだろうかと自分を疑ったことがない。金輪際、死に際で目が見えるなど経験したくない。しかも八方向からである。死に際というのは詩的表現で実際には生物学的に死に至りそうになったことはない。もう一人の自分をなくそうと一人の自分がモガイテイル時分である。このようになくされそうな人間がもがくべき筈であるにも関わらず、なくそうとしている方ももがいているのでどうしようもないビビリが泣きあっているのと同じである。
 朝、目が覚めた時点では頭が動く筈もなく、目を周囲に映し出す筈もない。朝が嫌いだ。一日で最もやろうと奮起するのを押さえつけ、自堕落にさせる。この棒を見てはくれんかと水を溜めても熱で蒸発するばかりである。くだらなさを見下し、妬むだけの人間になってしまいそうで嫌気が差す。それと同時に影を落とすのもジンクスのようなものである。綺麗さ求めても浄化されない。むしろ汚れが溜まる一方である。朝からこのようなので、夜まで続かず、昼に眠るも、また冴えた頭で陰気なこと思う。陰湿ではないが、ある意味で罰を課されそうである。
 夜には社会貢献活動をする。かと言って大したことではなく、雇われ、動かされ、それに従うだけのことなので、簡易である。そこでは多くの人の顔を見なければならない。非常に疲れる。非常に良いという褒め言葉を貰いながら、自分は非常に良くないので、凹む。凸を稀に突き出すが、そんなもの余計に疲労させるばかりである。それが終えると、とっとと家に帰る。然し、消灯時間まで余裕がないので、すぐ風呂に入る。上がれば就寝とするのだが朝が怖くて眠りたくないという状態である。朝から生きるリズムを壊している。然し無惨である。

0コメント

  • 1000 / 1000

jimblog