辛かった理由

正直死ぬんじゃないかと思った。死んだ方が良いと思った。でもダサい。主観的にダサい。ダサい治。太宰治。カッコイイ生き方をしたい。
 極度の自分嫌いだ。ナルシシズムを使いこなしたいものである。自信を全て喪失した。受験に落ちたからなのか。そうではなかった。継続、努力ができないからである。また、欲望に酷く弱い。そんなとき弱者の糧として女を連れたくなるものである。美味しいものを食べたくなるものである。そんな自分の性質を理解しているので、弱った時はいけないと思った。いけないと思うことがいけないのだがね。
 他人の意見に幼稚園に通っていた時分から批判的である。素直と言われ上手く世間を渡って来たわけだが、自分をさらけ出せばそうにもいかない。妹にも母にも泣かれた。他人を傷つける人間になってしまったのだと自分も泣きたかった。というより泣いてしまった。こんなに泣いた一年はない。とても長く観ずる一年であった。良い人は自分をさらけ出せなくて辛いと思う。感情的になって寄り添っては被害者になるのみだが、普段から愚痴をこぼし他人を蔑むあのような人間ではなく、黙って笑っている人の話を聴いてあげて欲しい。皆さんに覚えておいて欲しい。弱い人間ほど自分の弱さを誤魔化すものである。能のない鷹ほど鋭い爪を見せびらかすのである。
 感情的孤独。社会的に見れば私は友達に恵まれた人間である。しかしながら話の内容に強く心を砕かれたり、何を話しているのかわからなかったり、私は本当に頭が狂っているのだと思った。皆のと同じが良かったが如何にもならないものである。同調圧力を求める日本はだからいつまで経っても多様性を認められないのである。こうやって社会のせいにしてはいけないとまた自己嫌悪に陥るのがいつものオチなので、今回くらいは正直に物事を言いたい。正直に言う代わりにいつも自分で成し遂げてやろうと思いたつのだが、また感情的孤独になって潰れる。難しいものである。

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