「不条理人間幸福論」

 生きていく中で不条理だと思うことは多々ある。しかし、そういう人間に限って、上手くやっているのは非常に不愉快である。真面目は負けだと言わんばかりの形相で上からものをいうのである。決して生真面目、馬鹿真面目が悪い訳ではなく、社会はそういうものなのである。教育上での道徳、倫理では「嘘はいけない」だの、「素直にせよ」だの、「謙虚に振る舞え」だの、「他人に優しくせよ」だの教えざるを得ないのだ。実際は謙虚真面目素直社交的人間を演じているのだがね。演技が下手な連中には到底理解できないのである。

 ここで、演技派舞台俳優達の思考を探ると、彼らはルールに従うというより、自らのルールで世界を巻き込むという思考である。また、義務を重んじるというより、利益を重んじる。所謂、イマヌエル・カントの功利主義である。不満があるならば、舞台を変更するか、自ら舞台監督になるしか為す術はなく、それらを実践した末である。

 助演となるエキストラ達は、自分を犠牲にし、他者のみの利益を考える。とても良いように思えるが、よく考えて見てほしい。実際のところ、本当に他者に影響を与えるのは主演なのである。他者のことを考えるあまり、自分を単なるAI化し、決まった作業だけをこなすプログラムを作成するのである。

 こうして主演は成り上がり者としてぷうぷう騒がれるのだ。しかし、勘違いしてはいけないのは、全員がそれぞれで努力を怠らないということだ。自分がどのポジションで立ち振る舞いたいかを考え、それに見合った努力をする必要がある。結果的に、人間の幸福を満たすものを得られるのが主演のポジションなのである。だから題を不条理人間幸福論と極論にしたが、人それぞれと言って仕舞えば、人それぞれである。

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